Diamonds in the rough



――そろそろかな。
 腕時計を見てそう思う。最近パクの仕事は順調らしい。歌舞伎町のヘルスの用心棒に仕事が順調もなにもないのだが、このところのパクは、だいたい同じ時刻にふらりと洪の部屋を訪ねてくる。ほとんど時刻が変わらないということは、店の女の子の厄介ごとに巻き込まれることもなく、仕事が終わればそのまま真っ直ぐ来ているということなのだろう。自分の仕事に深く足を突っ込むようになったこの頃では、トラブルの中から洪の本業に役に立つようなネタを拾ってきてくれることもあるが、そうそういつも幸運が転がっているわけでもない。物腰の割に利に聡くがめついあの店のマネージャーが、警察の介入を許すような下手をうつとも思えないが、なんにせよ余計なトラブルを抱え込まないというのはよいことだ――殊に自分たちのように、叩けば真っ黒な埃が一面に立ちのぼるような身の上としては。
(まあもっとも、たまには騒ぎがあるのも悪いことじゃないけどね)
 その時にソウルの連中がどんな顔をするか、それを想像しただけでも楽しくなる。普段自分を「自由の女神に近過ぎる」と誹謗する連中が、あたふたと狼狽する姿を想像するだけで顔がほころんでくる。現場には現場のやり方があり、自分なりに成果を挙げているという自信はある。それを遠く離れた連中に口出しされるのは不愉快だ。たまにはそれくらいのささやかな意趣返しをしたところでバチは当たらないだろう――‐呉道にはまた心痛をかけるかもしれないが。

 裏口から、ゴミ袋を両手にぶらさげたパクが出てきた。
「パク。仕事終わったんだろ?これから飲みに行かない?」
  いきなり声をかけてみたが、パクは驚いた顔も見せず、頷いた。彼はあまり表情を変えない。感情が少ないのではなく、それを顔に表す術を今まで身につけてこなかったのだと、今ではわかる。袋を水色のポリバケツに放り込むと、黙ってついてくる。それを知っているから、敢えてふりかえることもしない。普段から腹の探り合いを続けている身としては、こういう気のおけない間柄というのは貴重な関係である。
 店が新宿にある都合上、パクの仕事が終わったあとではそれほど遠くに移動しない…せいぜい新宿駅から歩いて行ける範囲だ。今日の目的地は、朝の六時までやっている歌舞伎町の中の広東料理屋。パクの店からもすぐ近所である。たまにヤクザと隣同士で座らなければならないのが難点だが、それでもその店の料理は美味い。殊に海老をマヨネーズで炒めたものは絶品で、最近のお気に入りだ。どうせたいした距離でもないので、普段とは違う道を曲がってみることにする。普段はうるさいくらいに呼び込みがかかる一帯だが、時間の遅いことと、いろんな風俗店の裏口ばかりが並ぶ道であるせいか、人気はほとんどなかった。
薄暗い道を鼻歌を歌いながら歩いていくと、道端の立看板(「女の子は全員日本人、現役女子大生!七時までに入店のお客様には一時間七千円の大サービス!」――珍しくもない陳腐な煽り文句だ。独創性が全く感じられない)の陰に、なにやら黒い丸いものが見えた。好奇心は自分達のような職業の人間には欠かせない素質だ。近づいて覗いてみると、それは古びたバスケットボールだった。見ればそこは区画整理と都市開発に取り残された、小さな空き地だった。都会にはよくある風景。そしてそこには小さなバスケットボールのフープが据えられていた。おおかた、ここで遊んでた連中の忘れ物だろう。
「よっ…と」
 ぱしゅ。放り投げたボールは綺麗な放物線を描いてネットを揺らした。てんてんと音を立てて転がり落ちるボールを拾う。こんなことをしたのはいつ以来だろう――大方韓国で学生をやっていた頃に違いない。それでも自分の投げたボールがゴールにおさまったことで、かなり気分が良くなった。拾い上げたボールをパクに放り投げてやる。
「パクは?投げないの?」
 相変わらずの無表情で、パクはボールを持ったまますたすたと歩いて行き――当然ドリブルなどはしない――ゴールの下に立った。無造作に放り投げたボールは、ざしゅっと自分の時よりも幾分荒い音でネットを通りぬけた。跳んだりしなくても、パクの大きな身体は、手を伸ばして軽く放り投げただけで、ネットへボールを放り込むことに成功する。
「こんなことの何が楽しいのかわからん」
ぶっきらぼうに言うパクに、僕は苦笑した。
「ゲームだからね……パクだって、格闘技には熱中したんだろう?あれだってルールにのっとったゲームじゃないか」
「格闘技なら強くなれる」
 あまりに彼らしい返答に、つい失笑する。彼の考え方はとてもシンプルだ。僕が笑っている理由がわからないというように、パクは平然としている。彼にとって、その答えはごく当たり前のものなのだ。シンプルであるということは、必ずしも僕らの世界では良いことではない。けれど、時々彼の生き方が羨ましくなるときがあるのも事実だ―――それはほんのときたまだけど。

「いいかい、パク。僕らの世界はこのゲームと似ているんだよ」
 地面に転がったボールを拾い上げる。
「ただそれが普通のゲームと違うことは、ボールはひとつとは限らないってことだよ。誰がボールを持ってるかわからない。5つ6つとあっても不思議じゃない」
ふたつ、みっつ。軽くボールをついて、パクへとパスを送った。
「おまけに誰が味方かわからない。このゲームではね、シュートを決めるのは監督かもしれないし、審判だってこともありえる。振り向いたら味方のユニフォームが色が変わってるかもしれない。コートに3チームも4チームいることだってざらだよ。さらに」
ちょいちょいと手招きして、ボールを戻させる。
「ボールが本物かどうかもわからない。受け取ってみたらサッカーとかバレーボールかもしれないよね」
それくらいならまだいいんだけどね。よっと。――今度のシュートは外れた。リングに当たり、地面に落ちて大きくはずむ。
「受け取ってみたら、ボウリングの玉だったり、もしかしたら火のついた導火線付の爆弾かもしれない」
大怪我しちゃうよね。そう言って笑ったが、パクは相変わらずの無表情だった。ここは笑うところなんだけどな。そう言って足元に転がってきたボールを拾い上げ、パクに手渡してやると、彼はつまらなさそうに「それのどこにルールがあるんだ」と尋ねた。
「もちろん最低限のルールはあるよ。どんな業界でもそれは同じだろう。そうだなぁ、例えば、こんなのはどうかな。『ゲーム中のコートに車で突っ込んじゃいけません』」
 ますますパクはつまらなそうな顔をする。それのどこがルールなんだ。わずかに呆れたような色が声音に混じる。僕は苦笑した。
「確かに極端だけど、コートがなくなったらゲームはできないんだから、当たり前だろう?あとそうだなぁ…」
 宙を睨んで考え込んだ僕に、心底呆れたというように頭を振って「もういい」と溜息をつく。

「それで?おまえはそのゲームのいったい何が面白いんだ?」

 驚いた。パクはこういったことに滅多に口を出さない。この調査が必要だといえば、ただ頷いて出かけて行くだけだ。それが僕にとってどういう意味を持つかだなんて、尋ねてきたことはなかった。これはいい兆候なのだろうか。今まで何事にも無関心な風を見せていた彼が、こうやって自分から尋ねてくれる。ソウルまで連れて行ったことも、無駄ではなかったのかもしれない――相変わらず彼は無表情に僕の、そしてこれから彼がその為に働く国を眺めていただけだったけれど。

「このボールはね、パク。今はただのボールだ。けれど、もしかしたら磨けば光る原石かもしれない。あるいは今はボールでも、僕の手のうちで転がしているうちに、いつか本当に輝く宝石になるかもしれない。それが僕がこの世界で生きる理由だよ」

 情報とは力だ。他者よりも、いかに早く正確で有益な情報を掴むか。掴んだだけではなく、それをどう使うか。金のように誰の目にもすぐわかるものではないだけに、それを扱う者には一層の力量を要求される。自分の描いた図が当たった時、それは世界を手の中に入れるぞくぞくするような快感だ。けれど、それはいつか自分が陥れられ破滅することの裏返しでもある。情報を弄び、その快楽に溺れた者は、いずれは自分自身がその途を辿るのだ。それを理解していながら、それでもこの世界を離れられない。それほどまでに、自分の手のうちで弄ぶ情報というものは甘美な力を持っている――まるで麻薬のようだ。

「あの女と婚約者もそういうことか」

 パクの言うのが誰を指すのかはすぐにわかった。ロメオ――呉道の息子をあてがった女、里沙子とその婚約者の名取のことだ。
「そうさ。あれは僕が自分で育てる原石だ。いつかは僕の国のために、光る宝石にしてみせる」

そう、はっきりと言いきると、パクは相変わらずの無表情のまま、ボールを投げた。シュートとも言えないような、片手で放り投げただけだったが、それはきれいな弧を書いてゴールへと飛び込んだ。

「そう、なればいい」

 彼が口に出したのはその一言だったけれど、それで彼が僕のやることを理解してくれたらしいことは明らかだった。

「寄り道をしたね。行こうか」

 転がり落ちたボールは放っておいて、パクに声をかける。彼はやはり黙ってついてきた。
 いつか自分はこの世界で身を滅ぼすだろう。それだけのことをやってきたし、またそれだけの成果を挙げてきたという自負もある。多分、その時が訪れたとしても、自分はそれを当然のこととして受け入れるだろう。その程度の覚悟はできているつもりだ。
 しかし、今隣を黙々と歩いているこの男は、どうなるのだろうか。今はただ、自分が頼むことを引き受けるばかりだが、この世界に深く浸かるにつれて、いつかは自分と意見が別れる日がくるのかもしれない。パクは寡黙だが、決して頭の悪い人間ではない。自分が欲しかったのは、ただロボットのように動く存在ではなかったし、パクが自分の期待に応えてくれるだろうと思ったからこそ、ソウルへも連れて行った。
 自分の破滅にせよ、パクとの決裂にせよ。いつ訪れるのかわからない日のことを考えて不安になるのも僕の趣味じゃない。けれど、いつかはそんな日も来るのだろう。「暴力団関係者お断り」という、いかにもこの街らしい札のかかったドアを押しながら、けれどその日が一日でも遅ければいいと、柄にもなくそんなことを考えた。店の中からのったりとした広東語の女の歌声が流れてくる。とりあえず、いつもと変わらない一日が今日も終わろうとしている―――パクにも、そしてこの自分にも。
【Fin】

「2001年男子バスケのユニバース世界大会、日本代表負けちゃったよ」記念に書いたもの。
だからバスケットボールなのでした(別にバレーでも野球でも良かったんだけど)。
しかし平均身長202cmって何食べたらそんなに大きくなるのかしら。<対戦相手のクロアチア。
220cmともなるとパンフの誤植かと思いました…生きて行くの大変そうだなぁ。

五條作品の中では、洪とパクのコンビが一番好きです。
また一緒に出てきてくれるといいな。

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